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ラスベガス誕生物語

19世紀後半、全米はゴールドラッシュに沸き、一攫千金を夢見た多くの労働者たちがカリフォルニアを中心と
したアメリカ西海岸へと押し寄せました。そして、西海岸へと渡る最後の難関 ロッキー山脈を越える手前で一
休止をとったのがラスベガスでした。

しかし、当時のラスベガスには娯楽が何もなく、宿泊者たちは酒を飲みながらわずかな持ち金を賭けてカード
ゲームを楽しんでいたと言われています。

これがギャンブルの街 「ラスベガス」 誕生の瞬間です。

そして、ユニオン・パシフィック鉄道が開通した1905年、ラスベガスは正式な「町」となりました。

その後、一時はラスベガスのあるネバダ州でもギャンブルは非合法となりましたが、カジノを含めたギャンブル
を完全に禁止することは難しく、地下に潜ったマーケットはマフィアの格好の資金源となりました。 そんな中、
第一次世界大戦後に経済恐慌が起き、さらには1929年の株価大暴落による世界恐慌で州の財政が苦しくな
ると、次第にギャンブル合法化への気運が高まってきました。
そして、1931年にネバダ州は、財源の確保のため総括的なギャンブルを法制化し、これを機にラスベガスは
一大カジノシティへと発展することになります。さらに、この年ラスベガスの近郊に建設が開始されたフーバー
ダムはラスベガスに劇的な発展をもたらしました

まだ砂漠地帯だったラスベガスに、初めてのリゾート型カジノを
誕生させた男 ベンジャミン・シーゲル。

この当時、シカゴやニューヨークで暗躍していたマフィアで、映画
「バグジー」のモデルにもなった彼は、1946年に「ハリウッドの社交界をラスベガスへ」 をコンセプトに
「フラミンゴ・ホテル」を華々しくオープンさせました。

「バグジー」とは、彼のニックネームで「ノミ」という意味です。

フラミンゴは、カジノとホテル、ショーやプール、ショッピング、ゴルフ場、射撃場、乗馬クラブなどが
そろう一大リゾートホテルでした。これは現在のラスベガスのカジノ・ホテルの原型ともなっています。

しかし、ホテルは経営不振でわずか2ヶ月で休業となり、再開後も赤字経営は続き、
開店資金はあっという間に底をついてしまいました。 そして、マフィアから調達した
600万ドルもの資金を使い果たしたバグジーは、その責任を追及されマフィアから
狙われの身となってしまうのです。

そして、フラミンゴオープンからわずか1年後の1947年、バグジーはビバリーヒルズの
邸宅で暗殺されました。

その後、バグジーの射殺事件はマフィアの抗争として新聞の一面を飾り、これがきっかけでフラミンゴの存在が
全米に知れ渡りました。 皮肉にも、自分の死によってホテルは話題となり、フラミンゴを一目見ようと多くの客で
賑わい、その後ラスベガスには次々とリゾートホテルが建設されていくのです。

こうして、ラスベガスは、一大カジノリゾートとしてのスタートを切ったのです。

1966年、長年マフィアに支配され続けた街を一変させる一人の男がラスベガスに現れます。
レオナルド・デカプリオ主演の映画「アビエーター」のモデルにもなった男、20世紀を代表する大富豪
ハワード・ヒューズ。

この時代に急発展を遂げた航空産業で莫大な資産を有する彼は、まだ発展途中だったラスベガスに
アメリカンドリームを託し、航空会社TWAの売却でえた500億ドル(約60兆円)もの資金でラスベガスの
ホテルを次々とマフィアの手から買収しました。

当時、マフィアへの取り締まりを強化していたネバダ州当局の思惑とも合致し、
ラスベガスをマフィアの血に濡れた歴史から開放していったのです。これを機に、
マフィアから一般企業によるカジノ経営のスタイルへと変化していきます。

こうしてラスベガスは安全でクリーンな街へと変貌をとげ、だれもが安心して
カジノやショーを楽しめるようになり、安心して訪れる観光地となりました。
さらに、ホテル同士にもサービスや設備向上の競争心が生まれ、人々をより
魅了するためのアイデアが組みこまれていきました。

そして同時に、諸所の不祥事が発覚する度に監査機関である「ゲーミング・コントロール・ボード」の
管理システムを強化し、不正の面でもクリーンなカジノを作り上げっていったのです。

現在のラスベガスは、訪れる全ての人を魅了してやまない究極の
エンターテイメントシティへと発展を遂げました。まるで世界の観光
名所を集約したかのような一大テーマリゾートの誕生を、この男の
出現をおいては語れません。

全米で知らない人はいないと言われ、あのハワード・ヒューズから
唯一後継を託された男 スティーブ・ウィン。

ビンゴホールの経営者であった父親の影響を強く受け、学業半ばに経営者の
道へと進み出します。わずか31歳の若さでカジノ・ゴールデンナゲットの社長に
就任すると、見事な手腕で経営不振に陥っていたカジノの再建を果たしました。
そして、斬新なアイデアで次々と独創的なホテルを創りあげ、いつしか人は彼を
「ラスベガスを作った男」と呼ぶようになりました。

彼は、カジノ経営で培った経験とノウハウを生かし、1989年に革新的なテーマ型ホテル「ミラージュ」を
オープンさせました。これまでのホテルとは全く違う思考で、南国の密林ジャングルをテーマに無料の
火山噴火ショーを演じ、質の高いビュッフェを提供するなど、瞬く間に人気のホテルとなりました。

ミラージュの誕生こそ、1990年代のテーマ型カジノ建設ラッシュの先駆けであり、
ホテルのスタイルに大きな影響を与えました。そして、あの「シルクドソレイユ」を
初めてホテルに取り入れたのもウィンです。
つまり、彼は「カジノだけではないラスベガス」という現在のラスベガス・スタイルを
作り上げた人物なのです。そしてその後も、海賊ショーの「トレジャーアイランド」や、
噴水ショーで有名な最高級ホテル「ベラージオ」など話題のホテルを次々と生み出しました。

2005年、構想から5年の歳月をかけた史上最高のホテル「ウィン ・ラスベガス」
が誕生しました。 ホテルには、ラスベガス初となる敷地内にゴルフコースを保有し、
さらにラスベガス随一の広さを誇るプールを備えています。 ホテル名は当然彼の
名前からとられたものですが、ホテルの看板にもなっている「Wynn」のロゴが彼の
直筆サインだということはあまり知られていません。

(因みに、2009年にその隣にオープンしたホテル「アンコール」はウィンの再演という意味なんですね。)

こうして、現代のカジノの形を作り上げたウィンの功績を称え、人は彼を「ミスター・ラスベガス」と呼びます。

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